神奈川を楽しみま湘南回でも

神奈川県(シュウマイ県)の県名とその他の地名の由来

神奈川県

鉄分により染められた「金川」が地名の由来。
帷子川へ関東ローム層の酸化した鉄分が流れ出し、川を銅色に染めたことにちなんだ地名で、「金川」と書かれたそうです。この名称は文永3年(1266年)5月の『鶴岡八幡宮文書』に「神奈河郷」として登場しています。

 

表記については、鎌倉時代に源頼朝が金川を見て、「神大いに示すと書き、字を神奈川となすべし」と言ったとする説があります。そのほかには、水源地が不明の「上無川」という河川名から転じたとするなど諸説があります。

 

湘南

徳冨蘆花が広めたイメージ、実は中国の景勝地が由来。
サーフィンや海といった湘南ブランドの威力は絶大です。湘南出身、湘南ナンバーの車というだけで、なんとなく2割くらい底上げ感を漂わせています。ちなみに、湘南の良いイメージを広めたのは徳冨蘆花の随筆だと言われています。

 

このようにイメージバツグンの湘南ですが、その由来は大磯から平塚あたりの海岸線が、中国・湖南省の「瀟湘湖南(しょうしょうこなん)」に似ていることから、明治期に相模湾周辺を湘南と名づけたと言われています。しかし、湘南地域の厳密な定義はなく、単独の地名としては現在存在していません。

 

星が丘

夜空に瞬く「星」にはあらず、陸軍関係者のための街だった。
字を見る限り「星が良く見える丘」だからかと思われがちですが、実は夜空に輝く星に由来しているわけではありません。星というのは陸軍士官の階級章である「星」のことなのです。

 

この地には昭和12年(1937年)から、陸軍造兵廠および同廠勤務者とその家族のための県営住宅が建設されていました。その住宅の名称は相模原集団住宅という名称でしたが、通称「星が丘住宅」と呼ばれ、そこから一帯が「星が丘」といわれるようになったのです。

 

戦争に負けたことで、この辺りは米軍の駐留地となり、現在も相模原市には座間キャンプ、南台米軍住宅、相模原補給廠などが存在しています。

 

相模

酒の生産地だったことに由来、神様の名前だったという説も。
古代の相模国は、神奈川県の大半を占めており、『古事記』や『日本書紀』には「相武国」や「相模国」と書かれ、「身佐(むさ)」という国の上かみにあったため、「むさかみ」がいつの間にか「さがみ」になったともいわれています。

 

古墳時代に、渡来してきた秦の公酒の一族が、大隅隼人と共に相模川流域で、酒造を広めたという歴史もあり、酒の醸造を表す「酒醸(さかかみ)」、あるいは「酒見・酒甘」の意味とも考えられています。

 

また、古代の日本各地で豊作祈願が行われていた「サ神」という神様の名前から付けられたとも言われています。

 

伯母様

誰がつけたか「オバサマ」の所有地だったからこの命名。
伯母様は神奈川県伊勢原市にある地名です。名前の由来が本当に「オバサマ」のものだったからなのです。

 

1550年後半、北条氏康が布施弾正左衛門康則にこの土地を与え、その伯母である梅林理香大姉が所領したために、この名がついたのだそう。また、丘陵間の小さい谷間にあるため、自然と住人たちから、「小狭間(おはざま)」と呼ばれており、それが、「伯母様」と音が似ているため、二つの意味が重なったのではないか、といわれています。

 

ちなみにこの土地には「伯母様橋」という橋もあります。それにしても、もう少し地名はしっかりと考えたほうがよかったのではないでしょうか。